3枚目 NEWEST MODEL「SOUL SURVIVOR」(1989年)/洋楽の教科書としてのミクスチャーロック

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彼らの存在を知ったのは、メスカリン・ドライヴのお仲間バンドとしてだったので、おそらく88年頃。初めて聴いた時の強烈な違和感は、今も僕をこのアルバムに向き合わせます。つまり、当時洋楽をほとんど聴いていなかった僕に、洋楽を聴かにゃイカンと教えてくれた作品ということです。日本のロックだけ聴いていても理解できない世界がある。その深みを教えてくれたのがこのアルバムでした。

もともとはザ・ジャムのようなパンクバンドとして関西で誕生したニューエスト・モデルでしたが、インディーズでの2枚のアルバムを経て、メジャーデビューとなったこのアルバムでは、様々な洋楽のエッセンスが持ち込まれ、サウンド的にはロックの顔をしているものの、その裏側にあるグルーヴからはロックを超えた別のものが滲み出ていました。

例えば、ミーターズの「Hey Pocky-A-Way」が日本語でカヴァーされていますが、80年代の後半、日本の音楽でニューオーリンズの音楽の匂いをかぎ取れるものは、ほかにはボ・ガンボスくらいしかいませんでした。もっとも、実際にミーターズを聴いたのはずいぶん後で(当時は未CD化でレコードも高かった)、それでもここで名前を知っていたことの意味は大きかった。様々なジャンルの音楽を地続きに聴いていくことを覚えたのは、今考えればこのアルバムの影響が相当に大きいと思うのです。そういえば、ヴァン・モリソンの名前を知ったのも、ヴォーカル/ギターの中川敬が某雑誌で言及していたからでした。

その音楽性は、中川のレコードマニア的な性質と、奥野真哉のプレイヤーとしての勤勉さから生まれたものと言っていいでしょう。奥野のころころ転がるようなピアノやソウルフルなオルガンは、当時の日本のロックの中ではあまり聴けないようなプレイでした。そして、中川の代名詞ともいえる、皮肉を満載した風刺的な歌詞は、この頃から既に全開。当時の日本のロックシーンは、この得体の知れない個性を辛うじて受け止める器量をまだもっていたように思います。

当時のニューエスト・モデルはシーンの中に乱立するサブジャンルのどこにも属さず、メスカリン・ドライヴと共に、彼らが主宰する「ソウル・フラワー」という名前がそのままジャンルとなったかのような孤高の存在感を示していました。そして、音楽性のミクスチャー化とメスカリン・ドライヴとの融合も進み、メジャー3枚目となる「ユニバーサル・インベーダー」でそれは飽和状態となり、2つのバンドは同時解散。ソウル・フラワー・ユニオンとしての活動が始まります

後日談ですが、中川さんがこのアルバムを制作していた頃のことを話してくれました。実は、バンドのメンバーに対して、自分の世界観を理解してもらうために洋楽のいろんなアルバムを聴かせて、それに対して習作的にオリジナル曲を書いていったという側面があったとのこと。それって、ほとんど職業作家の手法に近い。しかも、パクリとかではなく、完全に自分の世界観になっている。当時の中川さんはまだ22~23歳。なかなかマネできることではありません。そして、このアルバムに同じものを僕が感じ取っていたなら、このアルバムの役割は見事に果たされていたことになります。すごい。


【収録曲】

1. ディスコ・アームド・ピース
2. こたつ内紛争
3. デイズ
4. まどろみ
5. 素敵な話
6. ヘイ・ポッキー・アウェイ
7. 尾根行く旅
8. イン・ザ・ホリデイ・ムード
9. 追いつ追われつ
10. ディープ・ウォーター
11. シーズン
12. 青春の翳り
13. ソウルサバイバーの逆襲

 
(noteに掲載していたものを加筆修正して転載しています)