11枚目 MARCHOSIAS VAMP「PLEASURE SENSATIONS!」(1987年)/個性派集団によるメロディアス・ロック

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僕はイカ天ど真ん中の世代ですが、当時はあまり興味がなく、ほとんど見たことがありませんでした。しかし、マルコシアス・ヴァンプが出場したと聞いた時は驚きました。当時のマルコシは、インディーズの世界では既に実力が認められた、それなりに有名なバンドだったからです。実は、この出場は3rdアルバム「乙姫鏡」のプロモーションのためだったらしいのですが、そこは実力派バンド。4代目グランドイカ天キングにまで上り詰め、メジャーデビューを勝ち取ったのでした。


マルコシは、マーク・ボランに多大な影響を受けたヴォーカルとギターの秋間経夫の感性を中心に置くことで成り立っていたバンドでした。各メンバーに多様なバックグラウンドがありながらグラム・ロックだといわれるのは、そこに理由があるのでしょう。確かに、歌詞の面ではマーク・ボランを日本語に置き換えたような難解さが目に付きますが、音楽自体はかなりヘヴィなもので、グラム・ロックが音楽面だけを捉えた言葉ではないにしろ、一概にグラム・ロックとして語ることはできないものでした。そうなったのには2つの理由が挙げられると思います。

1つは、ほかのメンバーもかなりの強者、個性派のテクニシャン揃いだったこと。ギターの鈴木穣はジョニー・ウィンター。ギターと格闘するかのように派手にピックを弦に叩き付け、えぐいチョーキングとビブラートを連発します。ベースの佐藤研二はジャック・ブルース。写真用の白い手袋をして(これがないと弾けないそう)、ブリブリに歪んだ音で低音を支える気などまるでない派手なフレーズを弾きまくるスタイルは、リードベースといいたくなります。ドラムの石田光宏はブラック・サバス(だったっけ?)。つまり、ビル・ワードということだと思いますが、初期のミディアム・スローのヘヴィなドラミングに共通点を見いだすのは難しくありません。こんな強力な個性が集まれば、コンセプトなんてものは無用でしょう。マルコシは秋間経夫が用意した素材を、如何に料理するかという場だったのだろうと思います。

もう1つは、秋間が書く楽曲が<リフ・ミュージック>ではなかったということです。60〜70年代の英国ロックに影響を受けたバンドの多くは、シンプルなコード進行やリフを中心に組み立てた楽曲を書くことが多いのですが、秋間が書く曲は常にメロディを中心に成り立っており、言い換えれば、アコギでの弾き語りが似合うフォーク的な楽曲だと言えます。リフ・ミュージックの場合は、どうしてもリフによってフレーズが制約されますし、歌と楽器のソロパートがハッキリ区別されやすくなります。しかし、メロディ中心の楽曲は、歌の邪魔さえしなければ、バッキングの自由度が高いのです。実際、ギター、ベース、ドラムスそれぞれの演奏は非常に自由で、オカズの多さは他のバンドの比ではありません。これはマルコシのメンバーの持ち味そのものではないですか。秋間がそういったところまで考えて曲を作っていたわけではないと思いますが、これが他ではマネできない大きな個性に繋がったのだと思います。

1stアルバムの「Pleasure-Sensations!」は、インディーズのElephant Moonからリリースされました(後にBalconyよりCD化)。LPのA面にあたる4曲が、新宿ロフトでのライヴ録音。B面にあたる4曲がスタジオ録音。彼らの個性はこの時点ですでに確立されているのですが、以降の作品に比べるとキャッチーな要素は少なめで、ひときわヘヴィな作品といえます。しかし、ライヴでは定番の曲ばかりで、彼らの代名詞ともいえる「バラが好き」や、ライヴでは最後に演奏され、秋間のステンドグラス・ギターが点灯される「Endless Charm」、ヘヴィながらもポップな顔を見せる「Attention Please」「My Baby Gonna Be My Dog」など、どの曲も非常に完成度が高く、2本のギターとベースの歪みがとぐろを巻くようにうねりまくるグルーヴ感は、巻き込まれたら逃れられないといった感じでしょうか。マルコシは以降も傑作を連発してきますが、どんどんソフィスティケートされていきます。このドロドロのヘヴィさはこのアルバムでしか聴けないものです。

【収録曲】
A1. ATTENTION PLEASE
A2. MY BABY GONNA BE MY DOG
A3. BARA GA SUKI
A4. TETU NO TOBIRA

B1. FANTASTIC CHIME
B2. SHADOW BABY
B3. DEEP BLUE
B4. ENDRESS CHARM

ライヴ企画しました。当山ひとみ sings ”SEXY ROBOT” 3月7日 渋谷JZ Brat

当山ひとみさんのライヴを企画しました。

普段のペニーさんのライヴは、持ち曲の中から様々なタイプの曲を演奏しますが、今回はCITY POP仕様、ダンサブルでメロウな曲を中心という企画性の強い内容でお送りします。

これまでライヴではやったことがなかった曲など、この日のみの特別仕様です。

キーボードには、若手AORグループとして注目されているブルーペパーズの井上薫さんが参加。最近では、高中正義のツアーメンバーとしても活躍している若手の実力派です。

ぜひご来場ください。


【池上尚志 presents City Pop Connection vol.4】
 当山ひとみ sings ”SEXY ROBOT”

日本だけでなく海外でも注目されている、シティポップ~和製ブギー・シーンの中核をなしてきた当山ひとみの諸作品。代表作「SEXY ROBOT」などを中心に、ファンキー&メロウな楽曲限定で行うスペシャル・ライヴ。

当山”Penny”ひとみ(Vo)

うみ野勝久(g)
池間史規(b)
上野義雄(ds)
井上薫(from ブルーペパーズ)(key)
園山光博(sax)
内田ゆう(cho)
貝田由里子(cho)

2019年3月7日(木)
Open 18:00 Start 19:30

渋谷JZ Brat SOUND OF TOKYO
〒150-0031 東京都渋谷区桜丘町26-1
セルリアンタワー東急ホテル2階
TEL:03-5728-0168

予約5000円(税込)/当日5500円(税込)
※Order別

予約受付中
https://www.jzbrat.com/liveinfo/2019/03/#20190307

 

10枚目 ZELDA「SHOUT SISTER SHOUT」(1988年)/ニューウェーヴからファンキーミュージックへ振れ始めた瞬間の偶然の傑作

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 バンドの音楽性は変わりゆくものとはいえ、正反対のベクトルに振れるということはそんなにあるものではないでしょう。ZELDAがサブカル文化系からダンサブルでファンキーなサウンドへ急激に振れていく瞬間の、偶然の傑作ともいえる作品がこれです。

 ZELDAといえば、リザードのモモヨのプロデュースでデビューしたニューウェイヴバンド。ガールズバンドであること以上に(おまけに、当時は世界で最長の連続活動期間を更新していたガールズバンドでした。ギネスブックにも載ったはず)、東京ロッカーズの影響下で活動を始め、その流れをメジャーシーンで80年代後半まで引き継いできた存在として、音楽的な部分でも異彩を放っていた存在だったのです。とにかく、曲がヘン。初期の前衛芸術的な緊張感や、なんでこれがこーなるの?というヘンな展開やメロディ。ソニーに移籍してからは徐々に分かりやすいロック感覚が出てきてはいたものの、ヴォーカルのサヨコが書く歌詞からは文化系の匂いがプンプンしていたし、チホはグルーヴなんてものとは無縁な<サウンドとしてのベース>を弾いていました。しかし、小沢亜子という肉体的なグルーヴを叩き出すドラマーがいたことが後に大きな意味を持ってくるのです。

 88年、まず「Dancing Days」というライヴ盤が出ます。これはベスト盤的な意味合いを持った選曲で、流れの中ではここで一区切りという風にも見えます。同年出たもう1枚のアルバムがこの「SHOUT SISTER SHOUT」でした。ジャケットに映るサヨコの髪型はツイストで(裏ジャケではメンバー全員がそういう髪型になっています)、そこですでに変化の予兆が感じられます。

 1曲目の「Sky Bohemian」ではドラムスが8ビートのファンキーなグルーヴで曲を引っ張り(当時の日本のロックドラマーでこういうグルーヴを出せる人は少なかったと思います)、<恋したいのさ>と歌われる歌詞だけでも大きな変化を感じます。2曲目の「Manhattan Hole」に至っては、ファンキーな16ビートのカッティングとバックビートを効かせたファンキーなリズムを持った曲。さらに「Darling Missing」はなんと初のバラード。アルバム全編がこんな調子で、恐らく、古いZELDAファンの中には拒否反応を起こした人も多かったのではないでしょうか。しかし、まだまだファンキーにはなりきれず、どこかニューウェイヴの名残を感じるところもあったりします。

 面白いのがフキエのギターで、この人はもともとハードロック出身だったと思うのですが、16ビートのカッティングが苦手なようで、歪み系の音でカッティングしたり、歪み系で白玉(全音や2分音符)のコードをぶっこんできたりするんですね。どこまで狙ったのかわかりませんが、これが実にファンキーで、「Black Boy Bad Baby」などは、P-Funk的な匂いすら感じられます。この時代、多くのハードロックの人にとって16ビートは未知の領域で、その手探り感と荒々しさが面白い効果を生んだんだと思います。それはチホのベースも同様で、いきなりグルーヴ型に転向しようと思ってもそうはいかず、音数を減らしてリズムを立たせることに専念しているように感じます。しかし、そういったものを受け止めてまとめているのがアコのドラムで、もともと16ビートが得意だったとは言え、実はかなりの実力者であったことが分かります。この人がドラムでなければ、この音楽性の変化は不可能だったはずです。

 しかし、なぜこんな変化が起こったのか。それはチホの彼氏であったボ・ガンボスのどんとからの影響でしょう。そして、メンバー全員が、音楽性だけでなく、ライフスタイルそのものが大きく変化していきます。そして、それに馴染めなかったと思しきフキエさんは脱退の道を選びます。

 
【収録曲】
1. Sky Bohemian
2. Manhattan Hole
3. 69 times
4. Darling Missing
5. My Diamond Your Dynamite  
6. Holiday Everyday
7. Black Boy Bad Baby
8. Planet News
9. Blue Desert
10. Dancing Days

9枚目 PRINCESS PRINCESS「TELEPORTATION」(1987年)/自我を持ち始めたガールズバンドの最初から名曲だらけの本当のデビューアルバム

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 メジャーどころを続けましょう。プリンセス・プリンセスなんてどうですか。

 プリプリはガールズバンド史上、最高の人気と売り上げを誇ったバンドです。しかし、熱心な音楽ファンの中には彼女たちを全く評価しない人も多いでしょう。よくある売れ線への否定だけでなく、いろいろなところから漏れ聞こえてくる裏事情を知ればそれも仕方ありません。ですが、その前に当時の音楽シーンがどんなものだったかを考えてみましょう。

 日本でガールズバンドという括りが定着したのは、SHOW-YAの功績でしょう。その人気を拡大させたのがプリプリです。では、なぜガールズバンドという括りが必要だったのか。それは、ヴォーカルとキーボード以外の女性プレイヤーが認められない時代だったからです。いたとしても、その多くはプロとしての演奏力には程遠かったりしたのも現実で、実力を認められるためには、SHOW-YAのように男勝りのスタンスを取るしかありませんでした(そして、その風潮にNoをつきつけたのもSHOW-YAでした)。しかし、ガールズバンド(そういえば、当時は"ギャルバン"でしたね)という形が浸透してくると、それを逆手に取る形で、音楽性や演奏力などよりも女の子ということを売りにしたバンドが増えてくるのです。

 プリプリはもともとはオーディションで集められたアイドルバンドでした。やはり技量はありませんでしたが、屈辱的ともいえる活動を強いられていたことから、メンバー間の結束は高まっていきます。改名や事務所の移籍を経て、マネージャーに市ヤンこと市村恵美子が付くと、人気はどんどん加速していきました。

 前事務所在籍時にリリースしたデビュー・ミニアルバムを経て、このファースト・フルアルバムの制作にあたっては、新しいスタッフの間からは、自分たちでオリジナル曲を書けるのかと疑問の声が上がったといいます。それに奮起したメンバーは、アルバムのほとんどの曲を書き下ろしました。残念ながら、シングルとなった「恋はバランス」は鈴木キサブローの作曲でしたが、これにもメンバーは難色を示したといいます。

驚くべきはオリジナル曲のクオリティの高さで、初めて作ったオリジナルだという「ソーロング、ドリーマー」を始め、「ガールズ・ナイト」「ユー・アー・マイ・スターシップ」「モーション・エモーション」(この曲のみ片野悦郎との共作)、「ヴァイブレーション」など、名曲揃い。個人的には「言わないで」が隠れ名曲だと思っているのですが、単純に楽曲の充実度という意味では、このアルバムがいちばんだと思います。まだ後のプリプリらしい明快さはなく、全編を覆うもやっとしたエコーの向こうに少し陰鬱でエロティックなムードが漂っているというこの作品のトーンは、日本のロックの歴史の中でも類似するものがあまり思い浮かびません。ただし、プリプリの作品で常に指摘される演奏の他人行儀さ加減(察してくださいw)という問題があるので、作品をそのままストレートに評価することはできません。しかし、これはファースト・アルバムであるということと、以降の作品よりも遠慮のない他人行儀さ加減は、疑う余地なくこのアルバムは楽曲で評価すべきだという指針を与えてくれます。皮肉な書き方でごめんね。そして、プリプリに限らず、当時はこういう聴き方をするべきアーティストは実はたくさんいたんじゃないかと思います。そういう時代だったわけです。

 ちなみに、プリプリ作品には、アレンジャーの名前が明確に記されていません。このことは、メンバーをはじめ、アドバイザー的存在だった片野悦郎、プロデューサーの笹路正徳や河合マイケルなどのスタッフの総合体がプリンセス・プリンセスなんだということを教えてくれます。

 また、奥井香のヴォーカルは、喉がまだそれほど荒れていない時期のため、繊細な表情が聞き取れるところもほかのアルバムでは聴けないポイントです。このとき既に、奥居香の作曲におけるひらめきや、ドリーミーで美しくノスタルジックな風景を描く富田京子、心の不安や弱さを巧みに写し取る中山加奈子の作詞の個性は見え始めていますが、実は、ゆらゆらとつかみ所がなく儚さを感じさせる楽曲を書く今野登茂子が、地味ながらも最初から最も個性を確立していました。ただし、その方向性がバンドにはあまり合わなかったので、最初にソロ作品を作ることになったのでしょう。

 プリプリの歴史の中では、この作品はいわばプリプロのようなもので、ここで得た自信が次作以降の爆発につながります。ちなみに個人的には、アルバム「LOVERS」の前半と、「PRINCESS PRINCESS」の後半が1枚のアルバムとなっていれば、ものすごい名盤だったのになぁと思います。


【収録曲】
A1. ガールズ・ナイト
A2. 恋はバランス
A3. 言わないで
A4. ソーロング、ドリーマー
A5. 思い出の隙間
B1. ユー・アー・マイ・スターシップ
B2. 海にひとしずく
B3. ヒプノタイズド
B4. モーション・エモーション
B5. ヴァイブレーション

 

(noteに掲載していたものを加筆修正して転載しています)

 

  

8枚目 KATZE「STAY FREE」(1989年)/売れ線の音と硬派なスタンスが噛み合った瞬間

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最近、布袋寅泰のライヴのバックコーラスをパーソンズのJILLとKATZE中村敦が担当したことがニュースになっていました(注:2014年時点)。中村のヴォーカルの力強さはさらに増していましたが、その容姿は全盛期とはかけ離れたものでした。それでも話題になるのは、まだ待っているファンが多いということなのでしょう。

シーンとメディアの狭間に挟まれたまま、評価の定まらないバンド。なのに、一部からは熱狂的な人気を持って語られる。しかし、それら全てが漠然としている。KATZEの印象はそんな感じでしょうか。それは彼らの出自があまり明らかになっていないからかもしれません。

KATZEの登場は突然でした。山口県下関出身。地元で活動するいくつかのアマチュアバンドが同時期に解散し、それらのメンバーが集まって結成。ポプコンなどのコンテストへの出場はありますが、地元ではほどほどの活動しかないにも関わらず上京話が進み、そのままデビュー。しかし、間違いなく実力派でした。

彼らの楽曲は、いわば完全に売れ線の音でした。洋楽からの影響を指摘するのが難しいほど、日本語との相性がいいキャッチーなメロディを、リズム隊の高山兄弟が作り出すどっしりと重い8ビートが雰囲気で流すことを許さない。パワフルな中村敦のヴォーカルは、言葉と感情をしっかりと伝え、尾上賢のギターは歌の背景に彩りをつける。4者4様、甘辛美麗なルックスの良さも含め、このバランス感覚の良さは、アマチュアの世界では奇跡的でした。

当然、事務所やレコード会社はタイアップを取って、全力で売り出しにかかったことでしょう。BOOWYが解散したすぐ後のデビューだったこともあってか、その穴を埋める存在になることを期待されたのは言うまでもありません。その資質も十分にあったと思います。

しかし、彼らの活動スタンスは硬派でした。デビューシングルのトラブルもあってか、一切のタイアップを拒否して、音楽そのもので勝負に出ます。結果、メディアへの露出は少なめとなり、ビッグネームにはなれませんでしたが、ファンは非常に熱心で、例えば、TOKIO城島茂を筆頭に、芸能界にも熱心なファンがいることは有名です。彼らがそれを公言してしまうのも、思い入れの強さ故と言えるでしょう。

ファーストとセカンドのどちらを採り上げるべきか迷ったのですが、いい曲が揃っているがまだ堅さのとれないファーストよりも、慣れが出てきたのか、より大きな演奏をするようになったセカンドを選びました。

「Hold Me」「Love Generation」「Rocket Rock」などの代表曲が収録されていますが、何と言ってもタイトル曲の「STAY FREE」の存在がこのアルバムを特別なものにしています。大人になってから聴くと気恥ずかしささえ感じてしまうような、親友への甘酸っぱいメッセージソングですが、ノスタルジーを上回る熱い感情が、聴く者を"少年"時代に引き戻します。そう、KATZEの大きな特長は、メンバーの美形っぷりに反して、男のファンが多いことなのです。素直さとひたむきさをもって飾ることなく自らを曝け出し、夢を語ったバンドだったことが、男性ファンの心を掴んだのでしょう。

3枚目と4枚目は少し作風が変わり、トータルでみた時に曲のクオリティがガクンと落ちます。ここには僕が度々指摘しているアマチュア時代の財産問題があるように思います。つまり、アマチュア時代の曲を使い果たした時、メジャーでの量産体制に対応できるのかということです。これに対応できないとそこから様々な問題が発生し、バンドが崩壊していく原因となるのです。KATZEの解散の理由はメンバーの脱退に伴う解散ということですが、無関係ではないような気がしています。

 

【収録曲】

1. HOLD ME
2. CHA CHA CHA
3. Rain Dance
4. DON'T CRY ANYMORE
5. LOVE GENERATION
6. LA・LA・LA?
7. ROCKET ROCK
8. Sitting on Your Border
9. NOSTALGIA
10. STAY FREE


(noteに掲載していたものを加筆修正して転載しています)

   

7枚目 ローザ・ルクセンブルグ「ROSA LUXEMBURG II」(1986年)/個性のぶつかり合いで短命に終わった名バンド

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 僕がローザ・ルクセンブルグを初めて聴いたのは、86年だったか、87年だったか、どこかのFM局で放送していた、当時、仙台で毎年行われていたロック・フェス<ロックンロール・オリンピック>の特番でした。曲は「在中国的少年」。ローザはその1曲しか放送されなかったのですが、その曲はものすごいインパクトで僕の中に残りました。しかし、この頃、<どんと>と言う名前をどれだけの人が認識していたでしょう。

 ローザ・ルクセンブルグは短命でした。83年に結成して86年にメジャーデビュー。解散が87年と、実際の活動期間は4年程度。メジャー期に至っては、ほんの1年程度です。どんとが広く有名になったのはボ・ガンボスを結成してからと言っていいと思います。どんとは自分のやりたいことが存分にできる場所が欲しかったんだと思います。つまり、ローザ・ルクゼンブルグはどんと一人だけのものではありませんでした。

 ローザも、ボ・ガンボスに勝るとも劣らない素晴らしいメンバーが集まったバンドでした。ギターの玉城宏志は非常にカラフルなフレーズを弾く面白い個性の持ち主で、同時代のギタリストでは、布袋寅泰と並ぶ才能だったのではないかと思います。もし、ヴォーカルがどんとでなければ、完全にギターがメインのバンドになっていたのではないでしょうか。ここが難しいところで、どんとと玉城の個性のぶつかり合いがバンドを短命にしてしまいました。よりファンキーなサウンドを指向したどんとに対して、玉城はよりロックなサウンドを指向したことで、軋轢がうまれたといいます。

 幸運だったのは、活動期間が短かったせいか、作品の中にそういった悪い影響が見受けられないことです。ライヴでは視覚的な部分も含めてどんとの個性が目立ちましたが、スタジオ盤を聴く限り、玉城の個性もかなりのもので、それらがうまく融合したファンキーなロックンロールに仕上がっています。どんとと共にボ・ガンボスを結成する永井利充の少ない音数ながらぶっとくグルーヴするベース。後にメトロファルスルースターズに加入する三原重夫の、時折ものすごいフィルをぶっこんでくるドラムス。この2人のタイトかつよく弾むリズムもカッコよかった。

 ファースト・アルバムには「在中国的少年」という名曲がありますが、この「II」はどの曲も平均的にクオリティが高く、バンドとしての著しい成長が見られます。タイトにドライヴする「さいあいあい」。後ノリのグルーヴがすごい「あらはちょちんちょちん」。ファンキーな「デリックさん物語」。大らかで楽しい「さわるだけのおっぱい」。それから、少しセンチメンタルな名曲「橋の下」。この曲はボ・ガンボスの解散ステージに玉城が飛び入り参加し、どんとと2人で弾き語りしたということもありました。2人にとってことのほか思い入れがあった曲なのかもしれません。

 改めて思うのは、メンバー一人一人の主張がこんなにもはっきりしたバンドは少ないのではないかということです。やっぱりローザはここで解散して正解だったのかも知れません。


【収録曲】
A1. さいあいあい
A2. あらはちょちんちょちん
A3. フォークの神様
A4. デリックさん物語
A5. かかしの王様ボン
A6. さわるだけのおっぱい

B1. シビーシビー
B2. テレビ28
B3. まったくいかしたやつらだぜ
B4. 橋の下
B5. 眠る君の足もとで

(noteに掲載していたものを加筆修正して転載しています)

 

   

6枚目 JAGATARA「ニセ予言者ども」(1987年)/音楽的成熟と共にアジーテーションを高めて行くJAGATARAの最高傑作

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JAGATARAの代表作といえば、"暗黒大陸じゃがたら"名義のファースト・アルバム「南蛮渡来」を挙げる人が多いのではないでしょうか。しかし、好きな作品は?と聞くと、このアルバムを挙げる人が多いような気がします。

江戸アケミ精神疾患から復帰し、活動再開したのが85年。87年に「裸の王様」をリリースし、同年2枚目となるスタジオ作品がこのアルバムでした。

「裸の王様」同様、パンク直系の攻撃的なムードをファンク・ビートに乗せた4曲収録。フェラ・クティのような、リフのループが生み出すグルーヴと緊張感。コンパスポイント的なダブ感覚を持った2本のギターの絡みが、より複雑なリズム感覚を生みだす。そして、江戸アケミのシンプルな言葉に込められた強力なメッセージ。非常に煽動的な一面が見られるようになりました。初期の作品で聴けた狂気とギリギリの研ぎ澄まされた感覚がなくなったとこの作品を否定する人もいますが、これは成熟という言葉に置き換えられるでしょう。

珍しく明るいムードを持った「少年少女」。<お前の考え一つでどうにでもなるさ>と、14分にも渡って畳み掛けるように凄いテンションで迫ってくる「みちくさ」。ヘヴィなリフと強力なアジテーションが圧倒的な「ゴーグル、それをしろ」。そして、呪術的と言えるほど、ゆらりゆらりと幽玄な儀式を15分にも渡って繰り広げる「都市生活者の夜」。何度も繰り返される<昨日は事実、今日は存在、明日は希望>という有名なフレーズは、このアルバムを特別なものにしていると言えます。

因みに、渋さ知らズJAGATARAのコーラスとダンサーだった南流石をゲストに迎えてこの曲をライヴで演奏していますが、想いがこもった感動的な演奏で、JAGATARAというバンドがいかに特別だったか、こんなところからも読み取れるのです。

なお、プラケース版のCDは別ミックスのようで評判良くないです。紙ジャケット版はオリジナルの内容に戻っているとのこと(僕のはアナログなので未確認)。 

【収録曲】
1. 少年少女
2. みちくさ
3. ゴーグル、それをしろ
4. 都市生活者の夜

(noteに掲載していたものを加筆修正して転載しています)