Japanese Rock

10枚目 ZELDA「SHOUT SISTER SHOUT」(1988年)/ニューウェーヴからファンキーミュージックへ振れ始めた瞬間の偶然の傑作

バンドの音楽性は変わりゆくものとはいえ、正反対のベクトルに振れるということはそんなにあるものではないでしょう。ZELDAがサブカル文化系からダンサブルでファンキーなサウンドへ急激に振れていく瞬間の、偶然の傑作ともいえる作品がこれです。 ZELDAとい…

8枚目 KATZE「STAY FREE」(1989年)/売れ線の音と硬派なスタンスが噛み合った瞬間

最近、布袋寅泰のライヴのバックコーラスをパーソンズのJILLとKATZEの中村敦が担当したことがニュースになっていました(注:2014年時点)。中村のヴォーカルの力強さはさらに増していましたが、その容姿は全盛期とはかけ離れたものでした。それでも話題にな…

7枚目 ローザ・ルクセンブルグ「ROSA LUXEMBURG II」(1986年)/個性のぶつかり合いで短命に終わった名バンド

僕がローザ・ルクセンブルグを初めて聴いたのは、86年だったか、87年だったか、どこかのFM局で放送していた、当時、仙台で毎年行われていたロック・フェス<ロックンロール・オリンピック>の特番でした。曲は「在中国的少年」。ローザはその1曲しか放送さ…

6枚目 JAGATARA「ニセ予言者ども」(1987年)/音楽的成熟と共にアジーテーションを高めて行くJAGATARAの最高傑作

JAGATARAの代表作といえば、"暗黒大陸じゃがたら"名義のファースト・アルバム「南蛮渡来」を挙げる人が多いのではないでしょうか。しかし、好きな作品は?と聞くと、このアルバムを挙げる人が多いような気がします。江戸アケミが精神疾患から復帰し、活動再…

5枚目 筋肉少女帯「SISTER STRAWBERRY」(1988年)/日本のインディーロックの多様性を高度な次元と高度なテクで融合した傑作

この時代、パンクとメタルは水と油のような関係で、パンクがメタル化しようものなら、ものすごい非難を浴びました。ラフィン・ノーズ然り、GASTUNK然り。アーティスト側から見れば、そんなことを気にしてる人はあまりいなかったような気もしますが。メジャー…

4枚目 ZABADAK「飛行夢(そら とぶ ゆめ)(1989年)/上野洋子の才能が開花したアイルランド録音作品

80年代は男女コンビのアーティスト、というか、クリエイター・チームのような活動をしているアーティストが多かった印象があります。サロン・ミュージック、Dip in the Pool、そして、このZABADAKはその筆頭ともいえる存在でしょう。もっとも、活動開始時は…

3枚目 NEWEST MODEL「SOUL SURVIVOR」(1989年)/洋楽の教科書としてのミクスチャーロック

彼らの存在を知ったのは、メスカリン・ドライヴのお仲間バンドとしてだったので、おそらく88年頃。初めて聴いた時の強烈な違和感は、今も僕をこのアルバムに向き合わせます。つまり、当時洋楽をほとんど聴いていなかった僕に、洋楽を聴かにゃイカンと教えて…

2枚目 DEAD END「GHOST OF ROMANCE」(1987年)/魑魅魍魎とデミニッシュが蠢く異形のロックンロール

80年代後半はジャパメタが一世を風靡した時代で、王道から異端まで様々なバンドが存在しました。中でもDEAD ENDは一際特異な存在で、いわゆるメタルとは違った楽曲構造を持ち、魑魅魍魎だ妖怪変化だと歌う歌詞はまるでホラー映画といった感じで、現在だった…

1枚目 BOOWY「"GIGS" JUST A HERO TOUR 1986」(1986年)/ライヴ音源を大幅に加工し可能性を広げた名"ライヴアルバム"

第1回目は、いろんな意味で日本の音楽史上の転換点になったBOOWYから。 BOOWYが日本の音楽シーンで成し遂げたことの中で最も大きなものは、歌謡曲に迎合しないロックをメジャーな地点に押し上げたことでしょう。あくまでも熱心なファンのものだったロックを…