昭和歌謡とJ-POPと右傾化の関係

謡曲をわざわざ<昭和歌謡>なんて呼ぶようになったのは、90年代後半、当時の歌謡曲ブームの中で、UAの「情熱」なんかが歌謡曲っぽいと言われた頃からだと思う。

なぜ、あえて昭和といわなくてはならなかったのか。
それは、歌の用途や歌に触れるメンタリティが変わったからだ。

では、<昭和歌謡>と<J-POP>の境目がどこにあるのか。
それは、ドリカムの登場だと思う。

この前、昔の歌謡曲の歌詞が云々という記事を書いたけど、いまなぜみんな歌詞を重視するのか、(歌謡曲以降の話だから)そこに書かなかったことがある。

それは、吉田美和の歌詞の独創性で、"私"目線の極めて主観的で客観的要素を排した歌世界が、リスナーの共感を呼び起こしたということ。

以降、ヒット曲には何よりも<共感>が求められるようになり、夢やドラマなど、かつてはリスナーの中になかった世界を歌うことによって、外向きに未知の世界を夢見ていた歌はどんどん内向きになっていった。
それによって、リスナーの視界に見える世界が非常に狭くなり、思考はより狭いコミュニティへと向かったいったのではないか。

それがエスカレートして、地元意識だったり、友達や親への感謝といったテーマにたどり着く。つまり、<等身大>ブーム、<応援ソング>ブーム、友達との<友情ソング>ブーム、<感謝>する歌ブームというように発展していくのだ。

こういったメンタリティは右傾化と非常に親和性が高い。
そう考えると、時代が平成に変わる頃から、ヒット曲を通じて、徐々に右傾化のメンタリティを受け入れる精神的環境が育まれてきたことになる。

若い世代の政治への無関心は、政治そのものに関心がないわけではなく、自分から遠い世界にリアリティがわかないから、積極的にコミットしようとしないということなのではないか。

あえて自分の知らない世界に触れようとせず、自分が楽に暮らせる今の(精神的)場所から出たくないという意識が強いのではないか。

これは、マイルドヤンキーの地元意識とも非常に似ているし、音楽に政治を持ち込むなという考え方にも呼応する。

そもそも、昭和歌謡は反社会的で左翼的でならず者の歌だった。

演歌なんてやくざ者の人生観と不倫が主なテーマの(現在の演歌のような、日本的な風景の美しさとか健全さを歌うようになったのは平成以降)、絵に描いたような反社会的な歌ばかりだった。

それが変わっていったのは、単に時代が変わったというだけではないと思う。

吉田美和に罪はないが、安易な共感という金になる木を植え続けたレコード業界の罪は重いかもよ。

以上、想像と妄想でした。