曲がヒットしない原因は歌詞の長さなのか

下記の記事について、思ったことがあったので書いてみます。

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楽曲に魅力がないというのはその通りだと思う。
歌詞がどんどん長くなる傾向があることも確かだけど、歌詞が短ければヒットしやすくなるのか。本当に歌詞の長さが”ヒット"に関係しているのかどうか。
僕の考え方はちょっと違う。

 

本文には以下のようにある。

<音楽ファンから“歌詞を理解する”という習慣が失われてしまいかねない。実際に「歌詞の内容はあまり気にしてない」と言う人に出会い>

これって、実は昔から変わっていないんじゃないかと思う。

 

音楽って歌詞で聴いてるかな?
歌詞がいいから曲を好きになるのかな?
歌詞が長いと理解しにくくなるからヒットしないの?

実は、昔から多くの人は歌詞なんか聴いていないのではないかと思う。曲を覚える過程で歌詞が入ってくるのではないか。そして、意味が入ってくるのはさらにその後。実は歌詞をただの記号として覚えている可能性もある。

 

例えば、有名な話だけど、ホイットニー・ヒューストン「I Will Always Love You」(原曲はドリー・パートン)は、一時、結婚式の定番曲になりました。でも、これは別れの歌なんです。いくら英語の歌とはいえ、歌詞の意味は無視されている。縁起を担ぐのが大事な場で、歌詞の意味を調べずに使うのはどうかと思うが、曲調から結婚式にぴったりのイメージだということで定番になったのは間違いない。

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作詞する方には申し訳ないですが、そんなもんなんだと思う。

 

シンプルな歌詞の方が覚えやすいし、昔は今よりもシンプルな構造の曲が多いから覚えやすいというのは確かでしょう。
でも、本質はここではない。

 

70〜80年代のヒット曲は、実はかなり技巧的にヒットを狙ったものも少なくない。

例えば、郷ひろみのデビュー曲「男の子女の子」(1972年)は、郷ひろみ自身の名前を売るための仕掛けがされている。

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歌い出しはこうだ。

<君たち女の子 僕たち男の子>

レコードではこれだけなのだが、ステージでは<女の子><男の子>それぞれの後に<GO GO>と客が合いの手を入れる。

これは最初からそれを狙って作られたものだし、それどころか、そういうことができる曲をという発注だった。つまり、企画段階からそれを狙っていたわけだ。

しかも、デビュー曲でそれを一発で認知させられるというのが凄い。
この歌い出しのメロディと歌詞は聴いた人に一発で覚えさせるだけのシンプルさとインパクトがあったということだ。

 

反面、歌詞全体をみたときに、内容のなさに愕然とする。この曲どんな意味があったっけ?と考えるのもバカバカしいほど、何もない。
歌詞に意味があることが重要で、意味がない曲がダメなのであれば、この曲がヒット曲で歌謡史に残る曲である意味が説明できない。

 

実は、歌詞に意味を求めるようになったのは、70年代半ば以降なのではないかという気がする。
もちろん、意味はあるんだけど、それほど深く求めていなかったというか。
シンプルである分、意味も表面的で、字面通りに受け取ればそれが全て、というものが多かったように感じる。

ヘンな話、子供の名前を付ける時だって、1人目の子供だから太郎か一郎、2人目だから次郎か二郎、春に生まれたから春子、昔はその程度だったのだ。

 

では、どこから歌詞が重視されるようになったのだろうか。
それは、フォークだと思う。

60年代半ば、アメリカのフォーク・ミュージックが輸入され、ボブ・ディランに代表されるメッセージ・フォークが日本でも歌われるようになる。初期のよしだたくろうなどはその代表格だろう。

サウンドよりも言葉に重きが置かれたことによって、歌詞は長くなる傾向にあり、これが日本における長い歌詞のルーツなのではないか。

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当時はまだアンダーグラウンドなものだったフォークがお茶の間に届くようになってから、少しずつ意味を重視した歌が増えていったのではないか。

つまり、吉田拓郎のメジャー化であり、さだまさし、アリス、オフコースなどを経て、ニューミュージックと呼ばれるポップスへと進化していくその過程で、歌詞に意味を求めることが定着していったのだと思う。

 

しかし、ヒット曲というのは、歌の意味やメッセージ性よりも、売れることが第一なわけで、前述したようなギミックなどを駆使しながら、大して意味の無い曲が量産されていく。
ここで意味のあることを歌っているはずというリスナーの意識と、実際にはそれほど意味のない歌が増えていくという現実が乖離してしまったのではないか。

 

実は、音楽は歌詞よりも曲先で作られているということの方が圧倒的に多い。だから、そこに乗る言葉の数は、あらかじめ決められているようなものだ。
特に歌謡曲の時代は譜割が重視されてシンコペーションが良しとされていなかったり、1つの音符に乗せる音節(単語ではない)の数が決まってたり、リスナーにとって聴きやすい=覚えやすい曲作りが徹底されていた。

 

だから、プロの作詞家の本当のすごさは、歌詞の意味よりも、<楽曲が最も活きるワンフレーズ>を作り出したことにある。

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例えば、もんた&ブラザーズの「ダンシング・オール・ナイト」は、歌詞の意味というよりも情景描写に近いし、それ以上にサビの<ダンシング・オール・ナイト>というフレーズのインパクトが凄い。英語なのにシンプルで誰にでも覚えられる。意味以上に記号的に覚える感覚なのかもしれないが、決して忘れない。これはもう発明に近い。まさにプロの仕事だ。

フックとなるメロディに印象的な言葉を乗せるということを意図的にやっているから、フックの印象=曲の印象になって、多くのリスナーに同じ印象で共有されやすくなる。

 

つまり、多くの人たちに認知される曲というのは、そういうものなのだと思う。

 

そういう意味で、松本隆という作詞家の異質さがよく分かる。

詞先が多かったことで、歌詞に意味をきちんと含ませていることが多かったし、色の表現を多用することで、リスナーをその曲のイメージに誘導することができた。

 

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実は作り手が歌詞に意味(正確に言えば表現のニュアンス)を求めるようになったのは松本隆以降であり、それ以前の歌詞は、物語性があってもそこに意味を求めない風景描写的なものが主流だったのではないかと思う。

 

松本の影響か、80年代になると、歌詞の中にドラマを入れ込むことが定着し、ショートムーヴィーを見ているかのような映像的な印象を残す曲が増えていく。

言葉の意味を1つ1つ追いかけなくても、曲のイメージでなんとなく全体の意味を掴みとれてしまう。それでいて、読み込めば、そこには様々な伏線が埋め込まれている。

作詞家のスキルが最高に高かった時代だ。

 

では、近年の歌詞はなぜ長いのか。

理由はいろいろあると思うが、例えば、楽曲作りのノウハウが蓄積されて、いろいろなことができるようになったこと。

シンガーソングライターの時代を経たことで音楽家自身の表現が優先され、戦略的に楽曲を作ることが良しとされなくなったこと。

ミュージシャンや歌手を"アーティスト"と呼ぶようになったことで、より音楽家の志向を優先する風潮ができたこと。 

テレビの音楽番組が減ったこととラジオの主流がAMからFM放送に変わったことで、オンエアされるために3分間という長さにこだわる必要がなくなったこと。

ほかにもあるかもしれないが、そういうことの積み重ねなんでしょうね。

 

そういうものが良かった時代があった一方、今はまた揺り戻しがきている。
音楽に求めるものが変わってきた、そういうことなのではないかと思います。

 

ちなみに、歌詞が短かった時代=80年代以前の歌謡曲の時代とすると、実はその頃はそれほどレコードは売れていない。

たまにモンスター級のヒットは出るが、ミリオンセラーなんか年に1~2枚程度出ればいい方。50万枚売れれば大ヒットというのが当たり前だった。

それが90年代のミリオンセラーが当たり前の時代(タイアップの時代)を経たことで、ヒットしたとイメージする枚数の概念が壊れてしまったんでしょうね。

 

でも、50万枚でも曲の浸透度は90年代以降とはぜんぜん違った。レコードを買わなくてもみんな曲を知っていた。
それはテレビの音楽番組がたくさんあったり、
今ほど娯楽の種類がなかったり、音楽に目を向けさせる要素がたくさんあったから。

そういった時代背景や、音楽業界(レコード産業)の大きさなどによっても売上枚数は変わるし、だから、何がヒットかといったときに単純に売上枚数での比較はできない。

 

つまり、歌詞の長さはヒットとそこまで大きな関係はないんじゃないかなという気がするし、ヒットとは歌詞だけで生まれるものではないのだ。 

 

では、なぜ多くの人たちが"歌詞が"っていうのかというと、サウンドを表現する語彙を持っていないからだと思う。

例えば、テレビの音楽番組で司会者が音楽について触れるとき、歌詞以外のことに触れることがあるだろうか。
司会者自身も理解できるのは歌詞の言葉だけで、音について説明することができないだけ。
おそらくリスナーも同じだからそれで成り立っているのだ。 

 

なぜヒットが生まれないのか。それは結局、音楽を売る側が音楽や時代が求めるものをわかっていないということなんだと思う。

いつまでも"ありがとう"とか"友達が"とか、私的で内向きな社会性ばかりを歌っていても、世の中には響かないし、なにか未来を予感させるものがないと、閉塞感は打破できない。

 

次のヒットはそこにあると思う。

 

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ところで。

ここまで書いて、中島みゆきさんの「糸」への違和感の理由が少しわかった気がする。

これ、ほんとにいい曲なんですよ。
なのに、なんとなく気持ち悪さが残って、なんなんだろこれと思ってたんです。

この曲ってドラマも風景描写もなくて、ただ概念だけが漂ってるんですね。

要するに、日常から剥離された思想だけの歌。
あまりにも雑念がない。
それって宗教の思想のみを聞かされているのと同じなんです。

そういうものを良しとするかどうかは個人差があると思うのですが、さすが、”みゆき教”と言っておきますw