ラッツ&ももクロ問題

ブログを引っ越して1発目の投稿です。まだまだ準備中。


ぶっちゃけ、こんなに大きな問題になるとは思ってませんでした。
しかし、これがインターネット時代の反応というやつでしょう。

今回の件は、もともとはももクロとの共演によってラッツ&スター(シャネルズ)時代へのオマージュとして企画されたもので、そのための黒塗りだったと思われます。これはラッツにとってはトレードマークみたいなものですから、もちろん差別意識などまるでなく、ただの日本国内向けのサービス的な企画だったはずです。

しかし、海外ではそうはとってはもらえません。ラッツが黒人音楽をルーツにもったグループで、リスペクトの表れなんだと説明しても、それでもNGだというのです。ここに日本と海外(主にアメリカ)の黒塗りに対しての考え方の違いがあります。

ぶっちゃけ、僕も最初は「これはリスペクトの表れなんだからいいじゃないか」という考えでした。しかし、いろいろ考えてみて、考え方が変わりました。特に、BMR編集長の丸屋九兵衛さんのツイッター@QB_MARUYA)に書き込まれた一連の流れは非常に示唆的で(論争はまだ続いているので、丸屋さんのツイッターを見てほしい)、中でもAki 安希 (@YOJPGIRLAKI)さんのこのツイートにハッとしました。


この黄色い顔、つり目、歯並びの悪さというのは、海外の人から見た日本人に対してのパブリック・イメージですが、そういった通常なら侮辱的な意味を持ったものをマネしてリスペクトしていると言われても、納得できるはずもないでしょう。

また、丸屋さんのnoteには、黒人の人たちからのコメントが掲載されていました。


それを受けて、僕がフェイスブックに書いたのがこれ。

※この中で「単一民族国家」と書いたのは、話があらぬ方向にいかないようにざっくり簡略化したためです。

結局、もはやどんな理由があろうとも、黒塗りはすべきではないということです。
ただし、今よりも黒塗りの意味を分かっていなかったであろう35年前の日本社会において、ラッツ&スター(当時はシャネルズ)が黒塗りしたということを責めるのは酷かもしれません。


そんなことを書いた僕のエントリーにコメントしてくれたのが、オーサカ=モノレールのリーダー、中田亮さんでした。とても分かりやすい内容だったので、許可を取って転載することにしました。

オーサカ=モノレールは68〜72年のジェイムズ・ブラウンのスタイルで活動するファンクバンドですが、ヨーロッパでもかなり人気があり(特にスペインでの人気はすごいらしい)、毎年ヨーロッパ・ツアーを行っています。海外の黒人音楽ファンたちと触れあう中で、いろいろ肌で感じるところがあったであろうことは想像に難くありません。また、中田さんは、ブラックムーヴィーにも精通しており、黒人文化に対して幅広い見識を持っている方です。海外で黒人音楽をプレイする日本人の目線から、今回の問題はどう見えているのか。



 「海外に行く」といっても、僕がよく行っているのはヨーロッパです。
 ヨーロッパでは「アメリカの黒人問題」についての認識はそれほど高くないと言えると思います。日本より少しだけ上か、ほとんど同じ程度だと思います。さすがにイギリスは英語の国なので、知識としてのアメリカの常識は知れわたっていると思います。しかしフランス、ドイツ、スペインなどでは、それほど「アメリカの常識」は知られていないと思います。(また、とくにすべてが知られる必要は無いと思っています。)おなじく、同盟国といえども、ここ日本で、アメリカの常識が浸透する必要はないと思います。しかし、「(洋楽の)ミュージシャンが顔を黒く塗る」は、言い訳できないと思います。

 池上さんのおっしゃっていた「肌感覚」のことを言うと(註:僕は以前のエントリーで、「日本人が<黒塗りはダメ>の意味を皮膚感覚で分かるようになるにはまだまだ遠いだろうなぁ、自分も含めて」と書いた)、顔の黒塗りは「アメリカでは、犯罪レベル」という感覚です。もう、なんの言い訳を言わせてもらうスキマもない。これはアメリカでは常識です。だから、アメリカの音楽、R&Bとかソウルミュージックとか、そういうものを愛好している僕たちは特に、そういうことを知るべきだと思います。理由もふくめて納得するところまで理解したいと思います。

 それだけではないんです。たとえば白人の画家が黒人をイラストに描くとするでしょう? それもダメなんです。かなり写実的だったら可能かもしれません。「写真を撮る」ならOKかもしれません。でも絵はかなり難しいと思います。(もちろん黒人が描くならOKです。)これは「僕はダメだと思う」という話ではないですよ。「アメリカでは描けない」と言っているんです。  そうすると、日本では、「そんな馬鹿な」「逆差別ではないか?」というような意見がでるかもしれません。それも無理はないと思います。アメリカの事情に僕たちは明るくないわけですから。アメリカはそういう「負の歴史」があるので、「現時点ではそういうルールにしなくちゃならん」となっているんです。そういう「歴史上の時点」にいる、というだけです。将来にもっと状況が良くなれば、肌の色の薄い人が、濃い人のイラストを描いても良くなる日がきっと来るでしょう。それは誰もが望んでいることだと思います。


J-POPでさえ海外にファンを持つインターネット時代の現代は、日本国内向けだから、過去へのオマージュだからといっても通用しません。むしろ、黒人音楽に精通しているラッツ&スターだからこそ、黒人芸能の裏にある差別の歴史まで考慮して、慎重であるべきだったのかもしれません。ももクロからしてみれば、訳も分からずといったところでしょうが、この問題が持ち上がった後の記者会見をキャンセルしたのはまずかったと思います。これでは逃げたと思われても致し方ありません。ラッツ&スター側にも誠実な対応が臨まれます。

今回の事件で多くの日本人に「黒塗りはダメ」だということが知られたのであれば、それはそれで1つの前進といえるかもしれません。しかし、ここにも日本人独特の潜在的な差別意識の問題があります。つまり、こういうことです。

「日本では、人種差別は起きていないと考えられている向きがある」

「差別の存在の否定」こそが「無意識の差別を助長している」

人種差別は「自分たちとは関係がない」と考えている人も多い

※以下のリンク先の記事より抜粋



僕ら日本人はもっと自覚的になるべきなのかもしれません。