RADWIMPS「HINOMARU」はなぜ気持ち悪いのか

 

HINOMARU」とは、もちろん日本の国旗のことだ。
旗とは主張をシンボル化したものと言える。

これが軍歌だとは思わないけど、日本的な美意識の中の極端に偏った感性で書き上げた感は否めない。
偏っていると思わないというのなら、ナチュラルにそういった感性の持ち主だということになる。
世の中ではそれを「右翼」と呼ぶ。

“愛国”という感性は非常にセンシティヴなものだ。
“愛国”という言葉からは、自分が生まれたこの国が好きという”故郷”的な意味合いとは違う、”国家”という主体を感じさせる。
それをシンボル化したものが「HINOMARU」なのだ。

それ自体は別に悪いことじゃない。
ただ、野田洋次郎の言い分に対しておかしいと思うのは、ここに書かれている感性が対象化されていないことだ。
偏ったまま美化された言葉は、フラットな感性を持つ人が聞いたときに違和感を覚えるものだ。
もしそれに気づいていなかったとするならば、アーティストとしては致命的な欠陥を露呈したことになる。

なぜ、こういった偏った感性の歌が、恥ずかしげもなくリリースされてしまうのか。
それは、歌詞の主語が”國體(国体)”だからだと思う。
つまり、自分の言葉ではないのだ。
自分の感性というフィルターを通していない、借り物の言葉。
だから恥ずかしくもないし、責任感もない。
右も左も関係ないなどと、見え透いたような言い訳もできる。

また、現在のような政治的な時代を背景にこの歌がリリースされたことは、そこに意図があろうがなかろうが、必然的に結びつけて考えるのが当然だ。
なぜなら、新しい音楽とは時代の感性や事象の中から生み出されるのが当たり前だからだ。
そこに音楽がもっとも身近な芸術として発展してきた歴史的意義がある。
それを無視するのは、アーティストとして非常に愚かだし、先人たちが積み重ねてきたことを否定するに等しい。

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この記事の最後にある<このフレーズに疑いを持たない純朴さこそが、今日の恐怖なのである。>という言葉。この<純朴さ>は"国を愛する気持ち"と置き換えることができるが、今回の件に関してはもう1つ答えがある。
それが、若いファンの子たちだ。
RADWIMPSのファン層は10〜20代が中心。
政治に対して教育を受けず、社会からも政治を感じることがまだ少ない。
しかも、(特に女の子のファンは)自分の好きなアーティストの言葉をそのまま信じてしまう人が意外と多いので、この歌世界をそのまま受け入れてしまう可能性がある。
特に、野田洋次郎が<何の思想的な意味も、右も左もなく、この国のことを歌いたいと思いました>と発言しているのは悪質だ。
つまり、純朴さとは、自分の中に偏った思想が入り込んできていることに気づかず、自分はフラットだと思ったまま、偏った思想に身を染めていく可能性の裏返しでもあるのだ。
しかも、こういう愛国的な表現によく使われる古語的な言い回しは、オタク文化と非常に相性がいい。
コスプレ感覚の非現実感とでも言おうか。
そこに美意識を見出すのは簡単だ。
音楽の世界で言えば、かつてのヴィジュアル系に右翼的思考〜ヤンキーイズムが感じられたのもこれと同じだ。

また、政府の方針を後押しするような歌を書いたとき、それは政治的に非常に利用されやすく、もっと極端に言えば、それが推奨されたと解釈して、右翼的感性をビジネスにしようとする人たちが出てくるかもしれないという危惧がある。
具体的に言えば、レコード会社が二匹目のドジョウを狙う可能性は大きいと僕は思っている。

これまでにも椎名林檎の「NIPPON」がリリースされたときは相当な議論を呼んだし、これだけの偏った内容の歌を、サッカー・ワールドカップのテーマソングにするのは問題があるという論調も多かった。
椎名はそれに対して真っ向から反論しているが、同じメッセージを伝えるにも言葉の選び方や使い方で表現するのがアーティストなのであるから、自分の意図がストレートに伝わらないことが大勢で、言い訳しなくてはならなくなった時点で失敗作であると言える。

過去には、今回とは真逆の感性のケースだが、例えばアナーキーの「Tokyo Is Burning」が反天皇的だとしてアルバムからオミットされたり、原発反対を歌った「サマータイム・ブルース」などを収録したRCサクセション「カバーズ」の発売中止騒動など、左翼的な歌がレコード会社に自主規制されることは度々あった。
しかし、ここまで(本人が何と言おうと)露骨に右翼的な感性をもった歌が発売されたことは驚いた。
そういったことを踏まえ、両極に触れた感性をそのままリリースしてしまう事務所やレコード会社は、何の疑問も持たなかったのだろうか。
だとするならば、よほど間が抜けているか、確信犯かのどちらかだ。


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繰り返すが、こういった歌がリリースされてはいけないとは思わない。
ただ、言い訳はするなと言いたい。
自分たちは右翼的な意思をもってこの曲をリリースしました、と。
レコード会社もそれを後押ししました、と。
ハッキリそう言えばいい。
そんな意図はないだとか、これが普通だと言うような物言いは、政治的免疫のない若いファンに偏った思想を植え付ける。
そういう卑怯な真似は止めていただきたい。