<「25歳からは女の子じゃない」資生堂、「セクハラ」批判CMを中止>のニュースに関して

このニュースに関して。

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びっくりするほどくだらないが、非常に重要なので書いておく。

これ、「思考停止」言葉狩りとネット時代ならではの「匿名の自己主張」がミックスされた、実に頭の悪い人たちの主張だなと感じる。

まず、「25歳からは女の子じゃない」の方。

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<25歳という年齢はもう子供じゃないんだから、「大人」としてのかわいらしさを目指そう>と言っているように僕には聞こえる。10代の子供に対する「かわいい」と20代半ばに対する「かわいい」って同じ意味なんでしょうか。昔だったら大人の女性に対する「かわいい」は、ケースのよっては「まだまだ子供なのね」というバカにしたようなニュアンスが含まれていると考えられた。例えば、僕はもう年齢的には十分オッサンだけど若いねと言われることがある。これは決して嬉しくはないです。おれはまだまだ下に見られてるって思うもん。同じ言葉でも立場によって捉え方が違うということを、このCMを批判してる人たちは見過ごしている。

これ映像の中ではなんで「25歳からは女の子じゃない」のかがちゃんと説明されてるよね。しかも、いつまでも子供でいたがっている主人公に対して、それを言うのが同世代の女友達っていう点で、上から目線でも下から目線でもなく、体験談として他人事じゃないんだよというニュアンスが加味されている。おまけに「かわいいをアップデート」するという、じゃあどうしたらいいかという提案までされている。まぁ、これが主題なわけだけど。

これ、どこが問題なんですかね?むしろ、僕には大人になってもいつまでも子供っぽくいることが「かわいい」んだと思うような風潮に対してのアンチテーゼとして、非常に秀逸な表現に思える。私はそう思わないとか、私とは立場が違うとか思うのであれば、このCMはあなたとは立場の違う人たちに向けてるわけだから、あなたがバッシングする必要はないし、お門違いの指摘ということになる。すべての人が同じ価値観じゃないからね。だから、自分に合ったものを選択していくしかないんですよ。違うものに対していちいち目くじらをたてるのは、「運動会でみんな同時にゴールしましょう」といっているのに等しい。ちゃんとその言葉が何を指しているのかという背景にまで目を向ければ、このくらいはすぐに分かりそうなものだが。CMだからすべての人に向けたものじゃなくてはいけないという人もいるかもしれないが、むしろCMはきちんとターゲットを絞って制作されているものだがら、誰かをバッシングしたりしているわけじゃない以上、嫌ならスルーすればいいだけの話です。

 


もう1つ、「顔に出ているうちは、プロじゃない」の方。

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これ、どこがセクハラなんでしょうね?たまたま男性が女性に言っているからセクハラっていってるのかもしれないけど、性別にまったく関係ない発言ですよね。男が男に言ってもセクハラになるんですかね?こんなの<ウザいこと言う上司っているよね>くらいのネタじゃないですか。しかも、「プロじゃない」っていうセリフのとこ、一緒に言うでしょ。要するに、これはこの上司のお決まりのセリフで、この会社ではみんなが知ってる一種の決まり文句みたいなもんだってことです。たまにいるでしょ、決め台詞を持ってる人って。そしてそれをみんな(少しバカにしたようなニュアンスを込めて)マネしている。その時点で、ウザいけど許容できないレベルじゃないということが映像から読み取れる。それと共に、ウザいと思いながらも、ちゃんと自分を振り返ってまだまだだなと思ってる節も見られる。さらに深読みすると、この上司は「疲れてるかもしれないけどもうちょっとがんばれよ」というニュアンスで使ってる可能性もあるし、「ちょっと気を引き締めていけよ」というニュアンスで使ってるのかもしれない(それが社員には伝わってないのかもしれないが)。あと、「25歳からは女の子じゃない」の方がパート1でこっちがパート2だという連続ものということを考えると、この女の子は現在25歳で、その年齢が仕事においてどんな立場かを表しているかという設定にもつながる。どちらにしても、ぜんぜんダメだしはしてないし、むしろある程度この人を認めてるように感じるのだけど。

これ脅しですかね?セクハラですかね?

ただし、この「顔に出ているうちは、プロじゃない」というセリフはセンスないなぁとは思う。「プロじゃない」っていう言葉には「一人前じゃない」「まだまだ大人じゃない」っていうのを含ませたかったんだと思うんだけど、頑張りが顔に出るとプロじゃないかっていうと全くそんなことないわけで、ちょっと言いがかりっぽいんだよね。このセリフを頑張って考えました感が出ちゃってて、顔じゃなくて「仕事に悩んだ形跡が出ているうちはプロじゃない」と言い返してやりたいw いや、別に出たっていいんだけどね。いいもんができてれば。

なんにせよ、ちゃんとドラマ仕立てになっている時点で、そこに登場するキャラクターの背景というものがあるわけですよ。そこまで読み取って初めて真意がわかる。もちろんCMだから、その真意が読み取りやすいように、仕掛けもしてある。そういうのを全部無視して、キャッチのひとことにたいしてだけでディスっているんだから、「思考停止」以外の何物でもないでしょう。

で、そういう「思考停止」してるくせして「自己主張」ばかりはしたがる人ってすっごく増えてますよね。しかも、そういう人は「匿名」でしかものを言わない。また、そういうのもわかっててわざとディスる人もいる。CMを潰して喜んでいるようなね。もうCMが本来伝えたかった意図とかどうでもいいんです。

最近、長谷川豊が透析患者の件でテレビの全番組を下された事件があったでしょう。あれに関して長谷川本人がブログで書いてたけど、長谷川を引き摺り下ろそうとネットで暗躍する何人かの人たちの行動ってのが確認されてるわけです。長谷川の言動の是非はともかく、そうやって世の中を混乱させて楽しんでる連中もいるんですよ。

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テレビやスポンサーはこういうネットの反応をすごく気にするけど、必要以上に悪意のあるネガティヴな反応はスルーすべきでしょう。こんなに気にしてたらCMのクリエイティヴィティなんかなくなっちゃうよ。

んで、またかと言われそうだが、こういう社会的な悪い風潮をリードしてるのが実は安倍政権だったりするんです。自民党議員たちの幼稚な言動、日本社会はあれをマネしていますよ。ほんと、はしたない大人が増えてます。

【リポート】岩里祐穂 presents Ms.リリシスト トークセッション Vol.1 ゲスト:高橋久美子

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8月27日に行われた、岩里祐穂さんのトークイベントに行ってきた。

近年は裏方の作家さんが前に出てきて、作家しばりのコンピレーションなんかもいろいろ出るようになってきたけど、その本人が中心になってイベントをやることってあまりない。そういう意味で、これからの作家の在り方みたいな部分も含めて興味深く見に行った。

なんつーか、岩里節全開。人前で喋るのは初めてと言っていたけど、絶対に向いてると思う。普通なかなかあんなに自由に喋れないもん。あれは性格だなー。明るいし美人だし、テレビに出ても人気出そう。

で、その(名目上の)第1回目のゲストは、元チャットモンチーのドラマーで、いまは作家、作詞家として活動している高橋久美子さん。2人の馴れ初めはももクロのライヴで隣合わせの席になったことで、チャットモンチーのファンだった岩里さんから声をかけたそうだ。

<お互いの曲を褒め殺し合うコーナー>として、お互いで相手の書いた詞を選んで質問をぶつけていくコーナーがあったんだけど、これが面白かった。

高橋さんが選んだ岩里さんの曲は、ももクロサラバ、愛しき悲しみたちよ」と「創聖のアクエリオン」。
岩里さんの言葉選びって、今井美樹さんの自立した大人の女性のイメージが強いけど、実は無邪気さというか、少女性がその本質にあるように思う。少女マンガ的な突飛なロマンティシズムの使い方がとても上手いのだ。

例えば、「サラバ〜」だったら、<言っちゃえば”い〜じゃん”>とか<言いたいよ”VS”言えない>、<聞かざるで”ござる”>、のような崩した口語体、記号的な言葉使い、キャラクター的な言い回しなど、例え歌うのが10代の少女だとわかっていても、普通はなかなか使えないもの。「アクエリオン」の前半部の格調高い言葉使いや、あまりにも有名なサビの<一万年と二千年前から愛してる>という飛び道具的なフレーズ、どちらも普通なら躊躇しますって。アニソンの時代にガッツリ乗っかれたことや、トリッキーな音使いをする菅野よう子の楽曲に見事に世界観を合わせられるのは、こういった性質が影響しているんじゃないかと思う。

そういえば、以前インタビューしたとき、初めて堀ちえみさんに歌詞を書いた時(「さよならの物語」の前のボツったもの)、文字の間とかにイラストを描いたりして、担当さん(今は亡き、あの渡辺有三さん!)に面白い子だね〜なんて言われたというようなことをおっしゃっていた。そのイラストが今は言葉選びの感性に姿を変えて現れているのではないかという気がする。
また、大人っぽい歌詞を書くときは、少女性が大人に憑依したような、なりきった感がある。だから、ヒリヒリするような現実的な歌詞よりも、ロマンティシズムが前に出てくるんだと思う。

対して、高橋久美子さんは、学生時代から歌詞(というか詩)を書き続けてきたらしく、チャットモンチーのときもほとんどが詞先だったとのこと。今も歌にしない普通の詩や小説なども書いているとのこと。

興味深かったのが、やはりももクロに提供した「空のカーテン」の詞で、岩里さんが指摘していた、”朝のニュース見て扉開けて歩き出して教室の前に行くまでにたった2行”というスピード感。そして、僕が気になったのは、場面が”移動”していること。例えば、歌謡曲の場合はあまり移動しないんですよ。いまの一瞬に思ったことを3分に膨らませて1曲にするのが当たり前だったりするから。もう1つ岩里さんが指摘していたのが、冬の歌だってわかってるのに、歌詞の最後で<冬が来た>歌うのはなぜかということ。高橋さんはこれを”改めて噛み締めたかったから”と言っていた。で、僕があれっ?と思ったのは、歌の世界では季節って感情を代弁するものだったはずなのに、”冬であることをかみしめている”、つまり、主人公の感情と冬であることが実は同等のものだったということ。”主人公がいて季節は冬”なんじゃなくて、”冬のシーンの中に主人公がいる”という構図の歌だったんだなと。こういう構造の変化って、なかなか言葉で説明するのは難しいんだけど、曲として聴いた時の感覚としてはずいぶんと違って伝わるもの。だから、若い子たちにはこれが当たり前なのかもしれないけど、 僕のようなオッサンには違和感があるし、それが新鮮だったりする。この日の岩里さんの名言の1つに「新しいものは違和感の中からしか生まれない」というのがあったが、ほんとその通りだなと思った。

もう1つ、歌詞とそれ以外の小説やメロディの制約がない詩を書くときってずいぶん感覚が違うはずなのだが(僕自身ライターとして文章を書くが、じゃあ歌詞も書けるよね、じゃあ小説を書けばいいじゃんなんてよく言われるが、そう簡単にはいかない)その時間軸ってどうなっているんだろうと思った。ある程度の長さが必要な小説には時間軸上の移動が必要だし、しかし、高橋さんの歌詞は同様に”移動する”ことによって時間の変化が起きる。これをまったく長さが違う文章の中にどうやって収めていくのかということ。この後に客席からの質問コーナーというのもあったが、僕が質問して一般の人の機会を奪うのはよくないので、 あとでご挨拶したときにこっそり質問しようと思っていたのだが(これを職権濫用というw)、タイミングが悪く聞きそびれてしまった。答えはたぶん気にしていない、か、そんなこと考えていない、だという気がするが・・・(こういう質問はだいたい考えすぎですよって言われる)。

その他、<自分たちの歌詞が生まれる場所コーナー>と題した、自分たちの作業場の写真の公開や、高橋さんによる詩の朗読(SCANDALに提供した歌詞のほかに、サプライズで、岩里さんの35周年を記念して森尾由美に提供した「そうしましょうね」も朗読した)や岩里さんが歌詞を書いた坂本麗衣さんが1曲パフォーマンスしたりと、あっという間の2時間半だった。トークそのものもおもしろかったが、客席からは作詞を勉強しているという人からの質問も飛んだ。作詞する人にはいろいろ参考になるような話 がいっぱいあったと思う。

最後には、10月に岩里さんがいわさきゆうこ名義でリリースした唯一のアルバムが初CD化されるとの告知も。実はこれ、僕がCD化したほうがいいですよ! と岩里さんに推したら、最初はいやいやあんなもの的なことを言っていたのに、その気になってw実現したというもの。いや、これマジでいいアルバムなのでおすすめです。金澤寿和さんの<Light Mellow>シリーズからのリリースです。

Vol.1と銘打っているものの次回の予定は未定みたいな話だったが、ゲストの具体的な名前も上がっていたので(決定事項ではないようなので、ここでは書かないでおきます)非常に楽しみ。だって、インタビューのときに、僕が2000年代以降をするりと抜け出した作詞家として岩里さんと共に名前を挙げた人だったんだもん!岩里さんと年も一緒だったはず。
あと、個人的には及川眠子さんをゲストに呼んでほしい。
アクエリオン VS エヴァ!!(といいつつ、どっちも見てないw)
あと、川村真澄さん。こちらも年が一緒だったはず。

そんなわけで、いろいろ楽しみにしております。

「Lady Marmalade」を歌う人にお願いしたいこと

どーでもいいことかもしれないし、余計な御世話なのだが、毎回見るたびに気になっているので書いとく。もうずーっと言われ続けていることだとは思いますが。

「Lady Marmalade」は、女性数人で歌う時の定番といっていいほど、プロもアマチュアもよくコピーしている曲です。で、コピーする時に誰のヴァージョンを元にすることが多いかというと、最近では圧倒的にクリスティーナ・アギレラやピンクらがカヴァーしたヴァージョン、つまり、映画「Moulin Rouge」のサントラのヴァージョンを選ぶ人が多いようです。

なんでそれが分かるかというと、Aメロの歌い出しがこうだから。

"He met Marmalade down in old Moulin Rouge"

 

いまはほんとにこの歌詞で歌ってる人が多いです。
ライヴだけじゃなくて、ちゃんと録音された音源でもこれだったりする。

でも、ラベルのオリジナル・ヴァージョン(厳密にはEleventh Hourというグループのものがオリジナル)は、”Moulin Rouge"じゃなくて"New Orleans"って歌ってるんですね。ここがポイントなんです。

つまり、この曲はニューオーリンズの娼婦の歌なんですよ。しかも"Creole Lady Marmalade"ってことは、この曲の主人公はアフリカ系の黒人じゃなくて、褐色の肌のフレンチ・クレオール。だから"The colour of cafe au lait"だし、”Voulez-vous coucher avec moi"ってフランス語のフレーズがあるんです。

で、アギレラ版がなぜ”Moulin Rouge"って歌ってたのかというと、あくまでも「Moulin Rouge」という映画の中の設定だからなんです。だから、それ以外で”Moulin Rouge"って歌ってると、歌詞本来の意味が台無しになっちゃうんですよ。もちろん、映画の設定ではパリが舞台だから、それはそれで意味が通ります。でも、それはこの歌の設定じゃなくて、あくまでも映画の設定なんですね。


アギレラ版のアレンジはカッコいいし、便利なメンバー紹介機能もついてるからそれはそれでいいんですけど、せめて"New Orleans"って歌ってほしいなーと思ってしまいます。歌詞を書いたボブ・クリューにも、<「おふくろさん」騒動>じゃないですけど、許さないわよっ!(←そっちの気がある人なのでw)って言われちゃいますよ。まぁ、もう亡くなってますが。


そして、パティ・ラベル・ファンとしては、ラベルのヴァージョンも聴いてほしいです。だって、バックはアレン・トゥーサンにミーターズ(ジガブー抜きだけど)だぜ。まずこれを聴いてほしいし、”New Orleans”って歌うと、僕のようなうるさいオッサンに、お、わかってるね!って思われますw

ちなみに、この曲を歌うのがもっとも似合うR&Bシンガーは、フレンチ・クレオールの血が入ってるビヨンセでしょうね。ビヨンセってこの曲歌ってないのかな?
(※Youtubeに「Beyonce & Rihanna」と書かれたのが上がってますが、あれはビヨとリアーナの映像を使ってるだけで、音源はアギレラ版なので要注意)

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【雑談】ミソジニー発言〜日本会議は僕らの中にもいる、のかも

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このミソジニー発言を読んで思ったことを書いておきます。先に言っておくと、長いくせに結論のない、だからどーなのよって文章ですw

少し前に10〜20代の男女が9割という仕事の現場に入ったとき、男女間の意識の差がないっていうか、口調も含めてほとんど感覚に差がないように感じた。

でも、僕らの世代は、男らしく女らしくとか、男のくせに女のくせに、っていう教育を受けてきた。ミソジニーかどうかはわからないけど、女性を<女性>として意識する一面ってのは絶対にある。

 

例えば、レディ・ファーストに代表されるような振る舞いとしての女性への配慮とか、女の子に重い物は持たせないようにという体力・体格的な一面とか、家事 は女性がするものとか、女性は電化製品の弱くてビデオの録画ができないとか、逆に、女性は手先が器用とか。電車に乗るとき、必要以上に痴漢冤罪を警戒す るってのもそうかな。これは実害があるからだけど。女性ミュージシャンのライヴにばっか行ってるオッサンも、逆説的にミソジニーなのかもしれんね。

もちろん、前2者のようにマナーや必然性としてそうするべきところもあるけど、後の方は、本当は個人差の問題で、今女性に対してそういう感覚を持っている ことは、女性への差別と捉えられかねない。僕のようなオッサン世代は、こうやって文字にしていくと「そうだよね」って思えても、肌感覚ではまだまだそうい うことを当たり前のように思ってたりする。

ちなみに、女性へのエロ目線ってのは、生物学的に仕方ないものなのかなとも思ったのだけど、若い子たちの間では、それすら薄かったりする。エロと異性への好感がしっかり切り分けられてる感じ。それじゃAVなんか見なくなるわけだよ。

最近テレビでも、オネエとも女装とも違う、男なんだけど妙に女っぽい仕草の若い男の子のタレントとかいるじゃない?(もちろん、テレビだから表現はわざと誇張しているだろうけど)あと、男のファッションでも妙に女性っぽい感性のものとかを、オシャレな若い子たちは普通に着ていたりもする。こういうものに対して、女々しいなという思うことも、感覚としては同じことなのかもしれない。

 

だから、僕らが日本会議的な一面を持っていることは確かだし、そういった潜在意識に気付かないまま事象としての女性への差別反対を口にするようなオッサンたちが、菅野さんの言う「ミソジニー」を理解できず、言われるほどに逆ギレしていくのもよく分かる。

 

そういった意味では、日本会議のマインドを反映した安倍政権に対してSEALDsという若者集団が立ち上がったのは納得がいくし、デモにオッサン世代が少ないのも分かる。
SEALDs世代にとって、安倍政権のやっていることは安保だ改憲だということ以上に、感覚的な気持ち悪さを感じているのかもしれないと想像する。

自民党だけじゃなくて、民進党ほかの野党にもミソジニーはぷんぷん溢れてるもんな。でも、唯一、共産党にだけそういうものがないんだよね。共産党を支持する女性が多いように感じるのは、そういうことなのかな?

 

いまの若い子たちの感覚って、あれはどこで身につけたものなのかな?学校で教えてるの?彼らの世代の文化にサブリミナル的に含まれてるの?ミソジニーに溢れたテレビなどのメディアを見なくなると必然的に変わっていくものなの?

 

なんにせよ、僕らオッサン世代からミソジニーをなくすことは難しいが、それを分かっているのと分かっていないのではかなり違うと思うので、心がけていこうかなと。
エロいのは変わらんけどねw

実は響いてるのかも? 自民党のキャッチコピー

余談ですが。

自民党のこのポスター。

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「この道を。力強く、前へ」ってキャッチに対して、なにが言いたいかわかんないなどの声があるみたいなんですが。
実はこれ、一部の人たちにはものすごく響いてるんじゃないかという気がします。

この前、別のところで書いたけど、<マイルドヤンキー>の話。
マイルドヤンキーって保守的な傾向が強いんですよ(そのメカニズムは今回は関係ないので割愛します)。
もちろん、ただのヤンキーは超保守的です。
で、そういう人たちって、妙に詩的な言葉とか「ポエム」とか、そういうのを好むんですよ。しかも平易なやつを。

その代表的なのがコレ。

 

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もうヤンキーもマイルドヤンキーもこういうの大好きなの。

例えば、やたら威勢のいいラーメン屋にこんな感じの標語みたいなのが壁にかかってたりしませんか?毛筆で書いたようなやつが。

EXILEに惹かれるのは、マッチョ感とか田舎の成金的なセンスの衣装とか運動会の南中ソーランのような踊りとか(ちょっとバカにしてる。ゴメン)だけじゃなくて、歌詞のちょっと恥ずかしくなるようなキラキラした純情感なんかもツボのはず。

みつおをもう一句。

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あれー、なんか同じ匂いがしてきたよねぇ、自民党のポスターと。

このちょっと純粋でかつ力強く、正論でキラキラした感じ
普通の人なら恥ずかしげもなくこんなこと言っちゃって・・・って少し引いちゃうんだけど、ヤンキー的な感覚にはビンビン響いてると思うんですよ。

地方に支持基盤が強い自民党は、それを感覚的に分かってる。
分析した上で狙いすましたわけじゃないと思うけど、きちんと外さない仕事をしてるんですよ。

じゃあ、野党はどうか。ちゃんとそういうところにカウンター打ちにいってますかね?そういうとこ細かく潰してくの、大事だと思うよ。

ちなみに、この自衛隊の新エンブレムも、ヤンキー感覚にはど真ん中なんだろうなぁ(ちなみに、ヤンキーは左右対称で尖ったものが好きという特性もある。族車なんかまさにそれ)。

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日本はヤンキー国家なんですね。

《参院選》なぜ<与党か、野党か>の2択が許されるのか〜有権者が主役の自分たちが暮らしやすい国を作るための選挙

大げさかもしれませんが、大事なことなので書いておきます。
というか、多少大げさに捉えた方がいい話です。

今回の参院選の実質的な争点は、誰が何と言おうと改憲です。自民党改憲案では国の形が変わるんですから、どう考えてもこれを最優先に考えるべきです。
問題なのは、<与党か、野党か>という2つの選択肢しかないこと。

 

自民党の圧倒的な数的優位の下には、憲法の修正すべき箇所の違いなど、すべて飲み込まれてしまいます。つまり、自民党改憲案がベースになるということです。また、野党の側も<野党共闘>という言葉の下に、各党の意見のまとまりもないまま、ただ与党に2/3以上の議席は取らせない、9条の改憲には反対という点で一致したのみです。こんな白か黒かみたいな選挙では、少数意見を反映させる場所すらありません。ではなぜ、それでも<野党共闘>を支持するのか。

それは、いま自民党を止めないと、国の形が悪い方に変わってしまうからです。その詳細はここでは省きますが、自民党改憲案は日本が民主主義でなくなる要素を擁しているのです(危険な変更点はいろいろありますが、9条の変更よりも、<緊急事態条項>の追加が危険です)。日本国民が後戻りできる最後のチャンスかもしれないんです。何を置いても、改憲の発議だけは避けなくてはなりません。


例えば、ブラジルは軍事政権から民主化を取り戻すのに20年かかりました。ミャンマーに至っては半世紀の時を要しています。自民党が目指すのは軍事政権ではないかもしれませんが、自民党自衛隊を軍隊化するならば、きっと兵役を伴うものになるでしょう。今年生まれた子供でもきっと兵役を経験することにな るし(もし稲田朋美が総理になれば、女性にも兵役が課せられるでしょう)、PKOや集団的自衛権による出動では実戦を経験するかもしれません(それでは自衛隊を守れないというのは、別に議論すればいい話)。戦争が起これば徴兵です。子供たちにそんな目に合わせたいですか?
さらに、もしヒットラーのような独裁政権の形に落ち着いてしまうのならば、民主化を取り戻すのには外国の戦力(つまり戦争に負けるということ)か革命しかありません。戦争や内戦で血を流したいですか? それとも、日本で<アラブの春>のようなことをやりたいですか?

 

もうひとつ、今回は政治家と候補者による選挙ではなく、有権者が主役の選挙だからです。
そんなこと当たり前だろうという人もいるでしょう。しかし、政治家たちは多くの国民が望まない方向に国の形を持って行こうとしています。野党は頼りなく、民進党はバカの集団だし、共産党はアカの匂いがどうしても抜けないし、それ以外の野党は余りにも非力で、才能も熱意も人数も足りません。だから、国の主体である自分たち国民が暮らしやすい国にするためにはまずは自民党を止めるしかないと、一部の国民の中からなりふり構わず立ち上がる人たちが出てきたわけです。それが奥田くんを初めとしたSEALDsの面々であり、 小林節さんたちなわけです。ただのいち学生である奥田くんが中途半端だと批判されるのは分かるのですが、スターターとしての役割は充分果たしています。そして、1人区における野党共闘が実現したのも、彼らの存在が大きく影響しているはずです。

 

つまり、自分たちための選挙だとハッキリ認識した上での<野党共闘>なので、今回は多少の意見の違いには目をつむって、まず自民党を止めるという大きな目的を果たし、その上で次を模索していこうというわけなのです。
当然、与党側は<野合だ><政策の一致がない>などとヤジをとばしてきますし、野党側からも揚げ足を取られるようなバカな言動を行う政治家がでてくるで しょう。でも、いまはそんなものは全部スルーしましょう。なぜなら、今回の参院選で野党が勝っても政権を取れるわけではないからです。できることは改憲勢力を抑えることだけ。もちろんそれ以外の政策にも影響はしますが、それは後になっても変えることができるものです。だから、細かいことをさておいてもそれほど問題ではないのです。逆に言えば、それほど自民党改憲案は危険だということです。

 

いまの自公政権の下では、まともな議論すらできません(議事録すら改竄してしまうくらいですから)。一度フラットな土壌に戻して、本当にいまの日本が進んでいる道が正しいのかどうか確認しましょうよ。

 

そのために、まずは投票に行くこと。
そして、白票や支持政党なしで投票しないこと(「支持政党なし」という名の、多数派に乗っかるだけの政策なしの党に投票したことになってしまいます)。
投票を棄権することは、与党の団体票を押し上げることになり、結果、与党を支持したことと同じ結果を招きます。
なんとなく自民党でいいかなというのも止めましょう。イギリスがEUから離脱するかどうかの国民投票では、安易に賛成票を投じて、一夜にして後悔している人たちがたくさん生まれているらしいです。

 

なんとなく、過去最低の投票率が待っていそうな気もするのですが、今回ばかりはマジでヤバいので、多くの人に(できれば野党に)投票を呼びかけていきましょう。
政治に関心を持たないとか、政治の話をしないことがカッコ悪いことになる時代がいまにきます。その前に、政治的な話をすると逮捕される時代になってしまう かもしれません。政治と関係なくバンドをやるだけでも逮捕されるかもしれません(自民党改憲案にはそれができる条項がある)。

 

みんなの1票で自民党を止めましょう。

いつから男は旅立たなくなったのか - 「演歌・歌謡曲を応援する国会議員の会」問題Pt.2

「保育園落ちた」問題はまだまだ尾を引きそうな気配ですが、実はこれも「演歌・歌謡曲を応援する国会議員の会」の件と関連してくるんですよ。

www.huffingtonpost.jp

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これは演歌だけじゃなくて歌謡曲も含む話なんですが、<いつから男は旅立たなくなったのか問題>ってのがあってですねw

そう、かつて歌謡曲の世界では、男は愛する者を捨て、故郷を捨て、旅立つものだったんです。

ちょっと引用してみましょう。

あ、著作権が云々とか、許してね。

 

ありがとう ジェニー
お前はいい女だった
半端なワインより酔わせてくれたよ
だけど ジェニー あばよ ジェニー
俺は行かなくちゃいけないんだよ

沢田研二「サムライ」作詞 阿久悠

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ごめんよ どうやら別れの時間だ
ひと箱の煙草が 終わってしまった
男は心に ひびく汽笛に
嘘はつけない 行かせてくれよ

野口五郎「グッド・ラック」作詞 山川啓介

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あいつは俺には 過ぎた女さ
別れの気配を ちゃんと読んでて
上手に隠した 旅行鞄に
はずした指輪と 酒の小びんさ

(森進一「冬のリヴィエラ」作詞 松本隆

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間違った。

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もうこんな歌詞がわんさか出てくるんです。

 

対して女性はというと、港で待つものなんですね。
特に演歌ではその傾向が強い。

おんな港町
どうしてこんなに 夜明けが早いのさ
それじゃ さよならと
海猫みたいに 男がつぶやいた
別れ言葉が あまりにもはかなくて
忘れたいのに 忘れられない
せつない恋よ
おんな港町 別れの涙は
誰にもわからない

八代亜紀「おんな港町」作詞 二条冬詩夫)

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やがて汽車は 出てゆき
一人残る 私は
ちぎれるほど 手をふる
あなたの目を見ていた

ペドロ&カプリシャス「別れの朝」作詞 なかにし礼

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ちょっと脱線すると、阿久悠さんだけはちょっと変わってて、演歌でも女性が自分から動こうとするんです。

さよならあなた 私は帰ります
風の音が胸をゆする 泣けとばかりに
ああ津軽海峡・冬景色

石川さゆり津軽海峡・冬景色」作詞 阿久悠

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この時のさゆりさんはなんと19歳!

 

馬鹿な女と 云うように
京都から博多まで あなたを追って
西へ流れて行く女

藤圭子「京都から博多まで」作詞 阿久悠

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話を戻しましょう。では、どこからこんな感覚が生まれたのか。それはもっと調べてみないとわかりません。
でもね、冗談で「グッド・ラック」の歌詞を現代の朝の風景に重ねてみると、女性側からはこんな言葉が返ってくるんじゃないかと。

<いいから、カッコつけてないで、早く仕事に行ってこい!>

いやー、コントですねw

そう、これらの歌詞に、<男は外で働くもの、女は家を守るもの>という価値観が反映されているのは間違いないでしょう。実際、昭和の時代はそういうものでしたし、それを疑問に思う人も少なかったはずです。だから、旅立つ男の姿をカッコいいだの、男のロマンだなどといって正当化できたし、残される女について省みることもなかった。

 

つまり、「議員の会」の主張の裏には、やっぱりこういう価値観がまだあるってことなんですよ。安倍政権は<女性が活躍できる社会>だとか言葉ではそんなことを言うけれども、実際には有効な政策はほとんど打ち出さない。今回の保育園問題に関してのヤジだって、<女は家に居るもの>っていう価値観があるから、 あんなことが言えるんですね。

演歌・歌謡曲が好きってだけで、なんでそんなことが言えるのか。それは、ほとんどの人が語れるのは歌詞だけだからです。今でもそうです。音楽番組で音楽について触れたとき、司会者がサウンドの話をすることがありますか? <何について歌ったんですか?>っていう歌詞の話がほぼ100%です。もちろん、楽曲だったり雰囲気だったりが好きっていうのはあるでしょう。でも、具体的にどこが好き?って聞いたら、ちゃんと答えられるのは歌詞だけなんです。その歌詞の価値観が合わなかったら、そういった音楽を好きとは言わないだろうし、聴かないでしょう。

 

ちなみに、今は何度目かの<和モノ・ブーム>です。若い人たちの間でも歌謡曲ファンは増え、わざわざ政治家が音頭を取る必要がない程度には盛り上がっています。

昭和歌謡>という言葉に対してはアンチな僕ですが(なぜなら、歌謡曲は昭和の時代にしかないもので、歌謡曲そのものに昭和という意味が含まれていると思っているから。<昭和歌謡>という言葉を使う時は、後の時代になってから、歌謡曲のエッセンスを恣意的に取り入れる、昭和の雰囲気を作り出そうとしているということを指していると解釈しています)、その言葉が生まれたのは、90年代半ばに渋谷系がブームとなっている頃。例えば、デビューしたばかりのUAなどが歌謡曲へのリスペクトを表明したり、小沢健二ピチカート・ファイヴ筒美京平に作曲を依頼したり、ファンキーなGSや和田アキ子らが<グルーヴ歌謡>などと呼ばれ、DJプレイされるようになりました。

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いっこだけマニアックなの投下しておくわw

それ以降、ことあるごとに歌謡曲の再評価は繰り返され、今では研究もずいぶんと進みました。ただし、そのほとんどはサウンド面からの検証作業であり、ここに一般の歌謡曲ファンと音楽好きの歌謡曲ファンの間に価値観のズレを生んでいます。そのズレの断層に潜んでいるものこそが、昭和的な男尊女卑感だったりするんでしょうね。

 

ところで、<いつから男は旅立たなくなったのか>ですが、これにはわかりやすいヒントがあるんです。それは1986年。とあるCMから生まれたフレーズが流行語大賞の銅賞を受賞しました。それは「タンスにゴン」の「亭主元気で留守がいい」ってやつです。まだまだ男は旅立ちます。でも、それは自主的にじゃなくて、奥さんによって追い出されているんですねw 女性は強くなりました。

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そして今では、男も女も一緒にいる歌ばっかりです。誰かに依存していないとやっていけない、自立できない、そんな大人が増えているんでしょうか。その点は歌謡曲に学んだ方がいいのかもしれませんね。

 

あ、ぜんぜん関係ないんですけど、レイ・チャールズの61年のヒット曲に「旅立てジャック」(原題「Hit The Road Jack」)ってのがあるんですよ。これは男女の別れに際して、女が男に向かって「出て行って 二度と戻ってくるな」(Hit the road Jack and don’t you come back no more)と歌い、男は「出てってやるさ」と強がりつつも「そんなひどいことしないでくれよ」とだんだん弱気なっていく情けない男の歌なんですがwその邦題がなんで「旅立てジャック」って男側の気持ちを奮い立たせるようなものになっているのか。このへんにも<旅立つ男のロマン>的なものが自然に出てしまったのかもしれません。

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